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余市町へ移住した外国人デザイナー × 余市観光協会 伊藤さんインタビュー

外国人の視点から、観光協会の視点から見る余市町の魅力とは?

2019.03.25

  • 田中 勲(たなか いさお)

2018年7月にJR余市駅前の街路灯に掲げられた「余市タータン」を使った旗。町を訪れる人々を出迎えるために掲げられたこれらの旗は、余市観光協会の依頼で、余市町に移住したアメリカ出身のグラフィックデザイナー、ブライス・モレンカンプさんがデザインしたものです。

1998年から日本に在住、一旦アメリカに戻った後、2017年から余市町に住むようになったブライスさん。そのブライスさんに旗のデザインを依頼したのは、学生時代から20年間ニューヨークなどアメリカに住み、今は故郷・余市町に帰って余市観光協会の事務局長を務める伊藤二朗さんでした。このお二人に、余市町の魅力やそれをデザインの力で伝えていく意義、これからの活動予定などをお聞きしました。

―ブライスさんは日本に来て何年になるのでしょうか。

ブライス 1998年に来日して7年間、東京や横浜に住んで、音楽業界の仕事などをしていました。その後一旦アメリカに帰って、2年前に余市町に来ました。ですから通算で日本に9年ほど住んでいることになります。

 

―そもそもの質問なのですが、どうして日本に来ようと思ったのですか。

ブライス 私が子供の頃住んでいたカリフォルニア州のサンノゼという街には、日本人街がありました。家に近かったので、私はよく日本人街に行っていて、お祭りにも参加したりしていました。だから日本人は私にとって外国人ではなく、よく知っている存在だったのです。

また私の両親はアメリカに移住したオランダ人でした。狭い国土に多くの人々が住むという環境が似ているせいか、自己表現方法を含むモノの考え方が、日本とオランダでは非常に良く似ているのです。私にとって日本は非常に理解しやすい国ですし、住んでいて快適。だから日本で仕事をしようと思ったのです。

 

―では二度目の来日の時、なぜ東京ではなく、余市町を選んだのでしょうか。

ブライス 一旦アメリカに戻ったのは、両親が病に倒れたからです。そして数年後、2人は亡くなりました。私の妻は日本人で、今9歳の女の子と6歳の男の子がいます。できれば、親戚が近くにいる環境で子供を育てたかったのですが、私の方の親戚はほとんどオランダにいます。であれば妻の親戚がいて、私も住んだことのある日本に行こうと。

妻の故郷は秋田県なのですが、ここに近すぎず遠すぎず、そして海や山でのアクティビティが楽しめるところをグーグルマップで探しました。いくつかの候補の中から余市町に決めたのは、この街がニッカウヰスキー創業の地であり、創業者である竹鶴政孝とその妻のリタが暮らした多文化の歴史を持つ町だからです。

 

ブライスさん

―実際に住んでみて「多文化感」はどうでしたか。

ブライス 私達移住者を受け入れてくれていると感じますね。町を歩く子供達に「こんにちは」と声を掛けると、自然に「こんにちは」と返してくれます。東京ではこんなことはなかった。小さい町ならではかもしれませんが、人々がオープンマインドで、自然にいつでもどこでも会話ができます。素晴らしい町だと思いました。

 

―他にも、余市町に来て良かったと思うことはありますか。

ブライス 美しい風景を眺められることですね。シリパ岬に代表される海辺の景色や、山や渓谷の四季の姿など、印象的な景観スポットが数多くあります。そしていろいろな種類のフルーツが作られていて、急速に成長しているワイン産地でもある。もちろんウイスキーも素晴らしい。さらにシーフードがあります。

私はカヤックで釣りをするのが趣味だったのですが、余市町に来て釣りをやめました。なぜって、魚屋さんに行けば、豊富な魚介類がびっくりするほど安く買えるので(笑)。

 

また私はサーフィンが大好き。余市町の近くにもサーフィンスポットがあるんですよ。子供達はスノーボードに夢中で、40分ほど車で走るとキロロスノーワールドというとても良いスキー場に頻繁に通っています。また後志自動車道が2018年12月に開通して、札幌まで車を使って50分で行くことができます。様々な意味で、余市町は私にとって最高の場所です。

 

―ブライスさん絶賛の余市町ですが、伊藤さんは余市町の良い点をどう見ていますか。

伊藤 多様性ある人々を受け入れる度量の広さというのは、私も感じます。ブライスさんよりも2年ほど前に余市町に移住したニュージーランド人の医師夫妻もいますし、私自身も長く海外にいて戻ってきて、ちゃんと今の仕事ができていますから。

また町自体の特徴もブライスさんの言う通り、ウイスキーにワイン、フルーツにシーフード、そして景観と多様性に富んでいます。今はモノを売るには意外性と多様性が必要と言われているそうですが、余市町にはどちらもあると思っています。

 

―ブライスさんは今、余市町に住んでどんな仕事をしているのですか。

ブライス デザインの仕事です。ニッカウヰスキーや余市観光協会の仕事もしますし、アメリカにいくつもの顧客を持っています。私の父親はデザインを教えていた大学教授で、私は小さい時からデザインの重要性を父から学びました。アメリカでもグラフィックデザイナーとして広告代理店と組み、自動車メーカーなど大手企業を顧客として、CI(コーポレートアイデンティティ)など様々な仕事をしてきました。

アメリカのビジネス環境は非常に競争的で、企業はメッセージを届けたい人に届けるために、デザインを非常に重視しています。しかし日本のビジネス環境はアメリカほど競争的ではないためか、デザインがあまり重視されていません。

しかし日本でも観光分野では、外国人観光客を含んだ新しい観光客に魅力を伝えて誘客するために、デザインに力を入れようという動きが出ています。余市観光協会との仕事も、その一つだと考えて進めています。

 

―ブライスさんと余市観光協会の仕事としてまず挙げられるのが、「余市タータン」を使った旗の制作です。伊藤さん、これはどのような経緯だったのでしょうか。

伊藤 NHKの連続テレビ小説「マッサン」のおかげで、竹鶴政孝とリタの物語は一躍脚光を浴びました。しかし一過性のことにするのではなく、二人の物語を今後も長く伝えていきたい。そのためにウイスキーとリタの故郷であるスコットランド伝統の織物の柄「タータン」に着目、余市オリジナルのタータンを作って広めていこうと考えたのです。

伊藤さん

2017年にタータンチェックコンテストを行い、5つの候補から町民の投票で1つの柄に決定。この柄を、スコットランドのタータン登録所に「余市タータン」として正式に登録しました。そして2018年、これをあしらった旗を作ることになり、デザインをブライスさんに依頼したのです。

 

―旗にはシンプルな「紋章」がデザインされています。

余市タータンの旗

ブライス 私は旗のデザインが、余市町のブランディングの良いチャンスだと考えました。この紋章は、余市町を代表する4つのこと、フルーツ栽培、ワイン醸造、竹鶴政孝とリタ、漁業をシンプルな形で表現しています。余市タータンを交えた全体のデザインも、余市町のブランディングを意識してスコットランドでもなく日本でもない、余市町らしさを打ち出すようにしました。

ブランディングでまず大切なことは、自分が何者であるかを明確にすること。この旗には余市町とは何かが詰まっていると思います。伊藤さんはとても良いクライアントで、私を信じて必要な質問にきちんと回答してくれました。この情報共有のプロセスがデザインには非常に重要なのです。

 

伊藤 問われるままにコンセプトをブライスさんに伝えたのですが、考えをデザインに落とし込む作業は私にとって初めての体験だったので、非常に新鮮でした。結果として、満足できるデザインができたと思っています。きちんとデザインのこと、ブランディングのことを理解して仕事をしてくれるブライスさんの存在は、余市町にとって非常に貴重だと感じました。

余市タータンの活動は、長くゆっくりと広めていければ良いと考えています。今年はニッカウヰスキーの余市蒸溜所のみで購入できるチョコレートのパッケージが、余市タータンを使用したものに変わりました。もちろんブライスさんのデザインです。

ニッカウヰスキー限定チョコレート

―余市タータンの今後の広がりと、余市町のブランディング活動の進展に期待したいですね。ブライスさん、次のステップは?

ブライス 余市観光協会とは、他にも台湾人向けのパンフレットを作りました。そういった観光関連のデザインの依頼を積極的に受けていきますが、その他にも自分自身で立ち上げた、余市町のブランディングプロジェクトを進めるつもりです。

余市町の自然の美しさと美味しいワインを多くの人に伝えていきたい。そこでシリパ岬とローソク岩を遠景に、余市町登地区のぶどう畑をあしらった「WINE COUNTRY」のステッカーをデザインしてみました。これを広めていきたいですね。

 

伊藤 私もこのブライスさんの発想にアイデアを得て、「新余市八景」を作ろうと。町民にアンケートをとって八景を決め、ブライスさんや他の絵の達者な町民の協力も得て絵葉書にするのです。残雪のあるシリパ山など非常に特徴的な風景を、ブライスさん監修の高いレベルのデザインで表現すれば、セットで販売することも可能になるでしょう。是非実現したいと考えています。

観光協会の仕事はソフト面が主なのですが、今後は町並みを変えるなどハード面の提案もしていきたい。その時にもブライスさんのデザインの力を借りたいと思っています。

 

ブライス 他にもいつもいろいろアイデアが湧いています。自然と歴史と文化が集まっている非常にユニークな町・余市町の魅力をもっと増して、それを広く世界に伝えたい。デザインの力で町に貢献していきたいですね。

 

―今後がとても楽しみです。ブライスさん、伊藤さん、今日はありがとうございました。

  • ブライスさんの個人プロジェクト
    ブライスさんの個人プロジェクト、カントリーサインならぬ、余市のショップサイン。
  • ブライスさんの個人プロジェクト
    パンフレットやショップサインは、観光協会でGetできます!

北海道の中でも特別な歴史と特徴的な数々の特産品、さらに美しい自然を持つ余市町。ブライスさんと伊藤さんの活躍で、世界中の人々に知られる存在になる日も遠くないような印象を持ちました。

田中 勲(たなか いさお)

有限会社パイン・リンク Director

1964年大阪府八尾市生まれ。エディター&ライター、たまに専門学校講師や大学院生、アントレプレナーだったりも。趣味は食と酒、映画、テニスなど。昨年から俳句を始めた。

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