北海道は余市といえば、NHK連続テレビ小説・マッサン。かつての大日本果汁株式会社、現在はその略称”日果”で親しまれるニッカウヰスキーが有名です。
しかしそんなウィスキーの街・余市で近年、最高級の日本ワインも作られているのをご存知ですか?
今回、お話を伺ったのは新潟のワイナリー・カーブドッチを成功させ、新天地・余市で再出発を果たした落さん。お酒好きなら、誰もが知っている新潟にあるカーブドッチ。ワインの力で一大観光地を築き上げた男。彼が、拠点を移し余市町で挑戦し続ける理由とは…?
ブランディングマネージャーとして活動する鶴本晶子氏が紐解いていきます。
聞き手:鶴本 晶子さん
女子美術短期大学卒業後、ニューヨークと東京を拠点に、現代美術家コラボレーターとして作品制作やマネージメント、企画に携わる。2007年から2014年までSUSgalleryのブランディング、商品開発、製造管理から流通開発までトータルで行い、国内の流通を作り上げる。2015年より株式会社ナガエを母体とする「NAGAE+」の取締役兼COOに就任。高岡に受け継がれて来た金属加工技術を軸に、メイドインジャパンのプラットホームブランド創りに邁進している。
話し手:落 希一郎さん
ワインぶどう栽培家・ワイン醸造家
1948年、鹿児島県、現在の薩摩川内市出身。1976年、LVWO Weinsberg(西ドイツ国立ワイン学校)を卒業後、小樽の北海道ワインでワイナリー事業に従事。1988年、長野サンクゼールにてワイン事業に従事。1992年、新潟の「カーブドッチ」欧州ぶどう栽培研究所を設立。
2012年には国から北海道初の「ワイン特区」に認定された余市町で、「Occigabi Winery」オチガビワイナリーを設立(専務取締役)。
二度と出会えない、一期一会なワイン
落さん ワインぶどうは味や香りがすぐ逃げやすい果物なので、収穫は朝八時半に始めたら午後三時にはやめて、ぶどうの選果に入ります。干からびた粒や青い粒、粒と粒の間に挟まった虫を取り除いていきます。ただ、選果に機械が使われ始めたのは、ここ20年から25年ほどの話です。人類は8000年ワインを作り続けてきましたが、7980年はずっと機械なしでやってきたんですよ。
ー機械を使う前はどうしてたんですか?
収穫したものは全部ワインに使っていたんです。
ブドウ農家がワインを作っているので、どうしても、”もったいない”という気持ちになってしまいます。しかし戦争が終わり、みんな金持ちになって、グルメにうるさくなってくると、もっとおいしいワインが求められるようになった。すると、仕込むブドウは厳選するようになり、作り方もかわっていったんですね。
ー機械で選果した後は。
選ばれたぶどうは3mのコンベアにゆっくり流し、人間の目で見てさらに選びます。
ーやはり最後は人間なんですね。
僕はぶどうの選果をする社員やアルバイトの人に、演説をするんです。
「なるべくぶどうを取ってください。その分、僕が二倍三倍の値段で売るから!」って。
ー従業員の方も、厳しくぶどうを選ぶことができますね。
そうですね。一割、二割ぐらいのぶどうは、はじかれて捨ててしまいます。
でも、うちのワインは日本で一番高級な日本ワインですから。
ー日本一高級な日本ワイン。
新しい日本ワインの法律※にあてはまるものが本当に少ないんですよ。
- ※2018年10月30日より新しく、俗にいうワイン法が施行された。このワイン法により、「日本ワイン」は日本で収穫されたブドウを国内で醸造したワインと定められた。施行以前はブドウの産地を問わず、日本国内で醸造したワインであれば「国産ワイン」と名乗れたために、新しい法律下でも「日本ワイン」と呼べるものは少ない。
僕の仕事で一番重要なのは、ぶどう選びでも発酵管理でもなく、ワインの濁りを取り除くことなんです。
その年のワインの味は、ぶどうはもちろんのこと、あとは僕の”濁り”の引き算の仕方で決まります。
ー引き算、といいますと?
ワインの製造過程で出てくる濁りの成分は、ワイン自体の比重とほぼ同じため、いつまでたっても澄まないんですよ。だから僕がいらないものを除いていくんですね。これが引き算です。
ーどうやって引き算していくんですか?
卵白を使うんですね。ワインに卵白を入れると、卵白の粒子に濁りの成分がくっつき沈殿していく。そして上澄みを引くんです。そのあと、様々なものを用いて、渋みの要素などを吸着して落とすことを繰り返してワインの味を整えていくんです。
だから僕の仕事は、どの物質をどのくらいの期間置いておくと、どんな味になるかを考えて引き算すること。引き算の仕方で、ワインの味はかなり違ってきます。
僕は、毎年違う味のワインを作っていいと思ってるんですね。
こだわり、愛、そして美学
北海道を支える小さな石に
もともと新潟でカーブドッチワイナリーを経営していた落さん。
70歳を超えた今も挑戦し続けるのは、奥さんの雅美さんの存在があるのだとか。
ーOcciGabiができたのは7年前のことだと伺いました。
妻の雅美がたまたまお客で来たんです。新潟のカーブドッチにです。お母さんと一緒に来て、娘さんの方が僕の弟子になりたいって言ってきたのね。
だから、僕、冗談で弟子入りするってことはすぐそういう関係になって、すぐスキャンダルになるんだから、その前に籍入れてくれって言ったの。
ー弟子入りと同時に結婚ですか。
そう。そしたら、彼女と彼女のお母さんがその気になっちゃって。
僕が64歳、彼女が44歳の時でした。
7年前に彼女が現れなければ、今頃まだカーブドッチにいて、その頃は太ってたし、もう糖尿病で死んでたでしょうね。
僕は、人間って愛情がないと生きていけないと思うんです。本当に、彼女は僕の救いの神ですね。
ー雅美さんと出会い、余市へ。
あと一か月遅ければ、余市のこの土地も空いていなかったでしょうね。
カーブドッチの副社長にも、「人生の冒険に出るから」と言って辞表を新潟に置いてきました。
とても反対されたんですが、北海道は拓銀(北海道拓殖銀行)がつぶれてのたうちまわってる。だったら、別に大きな力は持ってないけど、北海道の観光を支える小さな石になって見せるって言って、ここ余市で始めたんですよ。
ーそんな余市での再スタート。このレストランやショップも木の香りのする素敵な建物ですよね。
ここを建てた当時は3.11大震災の直後で、電力が足りないなどと大騒ぎでした。だからOcciGabiの電気照明はほとんどLEDにしたんですよ。そうすると、電気代も今までの10分の1くらいまで抑えられて。
また、窓を厚さ4cmの三層にして、冷暖房エネルギーの節約をしたり。
会社も背筋を伸ばして経営できるようにしないといけませんね。
ワインを学ぶために留学した西ドイツで、「自分が作るものは時間が経って自分がいなくなった後も見栄えがするものを作れ」と言われてきました。たまたま僕は余市の、この広い土地をお使わせてもらってる。みんなから将来喜んでらえもらえるようなものを作らないと。嫁さんのためにもね。
”余市”だからこそ
ーすごく愛と情熱とユーモアがあって、OcciGabiに落さんの知識や挑戦、未来への思いがちりばめられていて、感動しました。
自分の持っているものを、全部集めて一生懸命やるといい嫁さんもらえることが分かりましたよね。(笑)
ーそんな奥様と、また、なぜ余市でワイン造りを?
日本のワインつくりがでたらめだった。だから、本物をやる場所を求めてた。最終的に僕がたどり着いたのは余市だったということです。新しい法律によって、余市が日本一大ワイン産地になるのはもう目に見えています。余市のブドウをどこかにうつして絞るのは意味がない、余市で絞らないと。
僕はたまたまこの土地にいることになったけど、あと15年くらいしたらいなくなるわけで。これは継承するものであって、じぶんが所有すべきものでないことは百も知ってるんですよ。余市はワインで伸びると思います。ただ、みんな若い人が出てしまったんですよね。どうにかして、新しい若い人をどんどん入れましょう。
ー余市にどんな人が来てほしいですか?
僕のことをすごいと思う人間ではなく、僕のことを批判する人間が出てくるといいですね。あいつとは違ったやり方でこの町をよくしたいと思う人がでてきたら、いい意味での競争が出てきます。例えば、東京の人が来て余市に投資する、会社を作ると。そっちのほうがおもしろいです。余市の経済、人、雇用が目に見えて活発になることを、僕は願っています。
OcciGabi オチガビワイナリー
TEL.0135-48-6163FAX:0135-48-6164
〒046-0012 北海道余市郡余市町山田町635 (GoogleMap)
http://www.occigabi.net/
- 鶴本 晶子
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女子美術短期大学卒業後、ニューヨークと東京を拠点に、現代美術家コラボレーターとして作品制作やマネージメント、企画に携わる。2007年から2014年までSUSgalleryのブランディング、商品開発、製造管理から流通開発までトータルで行い、国内の流通を作り上げる。2015年より株式会社ナガエを母体とする「NAGAE+」の取締役兼COOに就任。高岡に受け継がれて来た金属加工技術を軸に、メイドインジャパンのプラットホームブランド創りに邁進している。
- 中井 涼
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ライター。北海道生まれの静岡育ち。中学・高校と部活漬けの日々を過し、大学進学で念願のUターンを果たす。趣味は、旅行・温泉・スープカレー・演劇。